本名
染川 富和

生年月日 1954年10月28日

出身地 北海道 小樽市

【略歴】


1954 北海道小樽市に生まれる。

1959 北海道旭川市へ転居。

1972 旭川南高等学校卒業。

1974 千代田テレビ技術学校入学。2年のとき財団法人ヤマハ音楽振興会日吉センタースタッフとして仕事始める。

1977 千代田テレビ技術学校卒業。
財団法人ヤマハ音楽振興会日吉センター就職。スタジオ運営企画、コンサート運営企画業務を行う。同時にアマチュア音楽家の育成業務を行う。杉山清貴とオメガトライブ、横浜銀蝿などと親交を持つ。

1985 ヤマハ退社。フリーのPA、舞台監督として活動。ヤマハエレクトーン関係のコンサート、鳥塚しげき(ワイルドワンズ)ファミリーコンサートなどの制作を行う。

1987 ユタカプロダクション入社。横浜銀蝿、嶋大輔、杉本哲太、岩井小百合などのスタッフとして活動。

1988 ユタカプロダクション退社。
株式会社ロックオンカンパニー入社。作曲家、アレンジャー、作詞家のマネージメント業務を行う。数多くの有名アーティストと仕事をする。

1998 アマチュア音楽家育成システム「Song Bank」を立ち上げる。

1999 ロックオンカンパニーを退社。契約プロデューサーとしてSong Bankの運営をする。

2000 Song Bankの運営業務と平行してインディーズレーベルスタッフとして(有)トゥエンティーレーベルを相模原市に立ち上げる4アーティストをインディーズデビューさせる。

2001 Song Bank業務の法人化準備の為(有)トゥエンティーレーベルを退社本拠地を相模原市から横浜市に移し個人事業として屋号「ザソングバンクシステムズ」「トライエックスミュージック」として活動開始。

2002 コロムビアミュージックエンタテインメント潟Aーティスト「naja」(元ジュディアンドマリーの五十嵐公太、元ラズマタズの横山達郎、新人ボーカルU-riからなるユニット)の制作マネージメントスタッフとして活動。

2003 アマチュア音楽家と音楽レコードビジネスを結びつける「総合音楽ビジネスネットワーク」を目的に有限会社トライエックスミュージック社を4月に設立。

2006 8月に事業所を川崎市から東京都渋谷区に移転。

作曲家、水島康宏(高橋真梨子メガヒット曲『ごめんね』の作曲家)、森川直紀(高橋真梨子2005年シングル「淡き恋人」AKB48「Bird」などの作曲家)を向かえ作家事務所機能を強化し、アマチュア音楽家からプロの作家まで幅広く音楽業界に向けて優秀作品を発信している。



【主な仕事内容】



Naja 2003年2/19「火の鳥」でデビュー。コロムビアミュージックエンタテインメント潟Aーティスト「naja」(元ジュディアンドマリーの五十嵐公太、元ラズマタズの横山達郎、新人ボーカルU-riからなるユニット)の制作マネージメントスタッフとして活動。3枚のシングル1枚のアルバムの制作を行う。

尾崎 豊 最後の全国ツアー「Birth ツアー」、遺作「放熱の証」の制作に西本明(keyboard,編曲家)マネージメントとして参加する。

佐野元春 西本明マネージメントとしてツアー、レコーディングに参加する。

氷室京介 西平彰(keyboard,編曲家)マネージメントとして3枚目のアルバム「ハイヤーセルフ」以降数年にわたりアルバム制作、全国ツアー制作に参加する。

槙原敬之 「1stアルバム」西平彰のマネージメントとしてレコーディングに参加。

相沢友子 「部屋のない扉」「アスベストの海の中で」「安心毛布」(ソニーレコード)の制作スタッフとして参加する。現在「恋ノチカラ」「エ・アロール」などの脚本家として活躍中。

篠原りか 「世界中があなただったら」(テイチクレコード)、「ふらふら」「青空」(パイオニアLDC)の制作スタッフとして参加。

鶴久政治 チェッカーズ時代のソロ活動「1st、2ndアルバム」ポニーキャニオンの制作。

カルメンマキ カルメンマキ&モーゼス」「スピリット」「ユニゾン」(パイオニアLDC)の制作スタッフとして参加。

Song Bank 新人作詞、作曲家の作品を鈴木沙里奈、遠藤久美子、高橋真梨子のCDに送り込む、最近では相川七瀬、AKB48アルバム、アニメソングアルバムなどに新人作詞、作曲家をデビューさせている。

インディーズ 相模原市中心に活動する猿川あつし「ひとりたび」、水谷晃子「ゆめみるあなたへ」、Aya「aya sueki」、Ladybug「Ladybugs」をリリースする。


【そのほかに仕事をしているアーティスト】


大江千里、河相我聞、江口洋介、稲垣潤一、渡辺美里、藤井尚之、
広瀬香美、大沢たかおなど。



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